熊本県熊本市にあった城である。別名、銀杏城(ぎんなんじょう)
熊本市植木町の中心から南に伸びる舌状台地(京町台地)の尖端、茶臼山丘陵一帯に築かれた平山城。現在の熊本市本丸、二の丸、宮内、古城、古京町、千葉城町に当たる。
中世に千葉城、隈本城が築かれ、安土桃山時代末期から江戸時代初期にかけて加藤清正がこれを取り込み、現在のような姿の熊本城を築いた。
細川氏の居城となった後も盛んに改築が行われ、明治時代の初めまでは大半の建物が撤去されずに現存していたが、熊本鎮台が置かれた後に建物や石垣、曲輪の撤去や改変が行われ、西南戦争で一部の建物を残して天守を含む御殿や櫓など主要な建物を焼失した。現在は、宇土櫓や東竹之丸の櫓群が残る。石垣普請の名手とされる加藤清正が築いた石垣は、明治22年(1889年)の熊本地震で石垣の一部が崩落し、改修された部分があるものの、ほぼ江戸期の改築による変遷の痕跡をとどめ、城跡は特別史跡に指定されている。
● 所在地 | 熊本市本丸1番1号 |
● 城の種別 | 平山城 |
● 築城者 | 加藤清正 |
● 築城年 | 慶長12年(1607年) |
● 遺構 | 石垣・堀(特別史跡)、宇土櫓ほか櫓10棟・櫓門1棟及び塀(重要文化財) |
● 天守閣構造 | 鉄骨鉄筋コンクリート造 3層6階地下1階(昭和35年再建) |