三方ヶ原台地の東南端にあって、徳川家康が築いた城で、別名 曳馬城(ひくまじょう)、出世城(しゅっせじょう)と言う。
家康は天文11年(1542年)三河国岡崎城内に誕生し、父は松平広忠。、母に生別、駿府に少年時代を過ごすが、岡崎に戻り、永禄11年(1568年)に三河から遠江に入り、各地を転戦して引馬城をはじめ諸城をしたがえると共に、元亀元年(1570年)長子の信康に岡崎城をゆずって、自らは浜松城へ移り、駿遠経営の本拠と定めた。
家康は、29歳から天正14年(1586年)45歳で駿府城に入るまで、在城17年に及んでいる。
有名な姉川、長篠、高天神城、小牧・長久手の戦いもこの期間に行われ、特に元亀3年(1572年)の三方ヶ原合戦は、家康の生涯における難戦で、関ヶ原合戦以上の戦いであった。
当時の浜松城は、三方ヶ原台地の南端部の傾斜地に築かれたもので、天守閣・本丸・二の丸・三の丸などが傾斜する地形に応じて西から東へ階段状にほぼ一列に並んでいた。
この浜松城は、豊臣の家臣、堀尾吉晴氏によって天守が築かれたといわれているが、江戸に幕府が開かれてからは、代々の諸大名にこれを守らせ、浜松藩政約260年の間に再任を含めて25代の城主が在城し、在城中に老中に5人、大阪城代に2人、京都所司代に2人、寺社奉行に4人が登用されており、なかでも水野忠邦は、天保の改革でよく知られている。
そのことから、浜松城が出世城とも言われるようになった。 明治維新以後、城郭は壊され、すっかり荒廃していたが、昭和33年春浜松市民の努力が結実し、旧天守閣跡に新天守閣が再建され、昭和34年6月1日市の史跡に指定された。
● 所在地 | 静岡県浜松市中区元城町100-2 |
● 城の種別 | 平山城 |
● 築城者 | 徳川家康 |
● 築城年 | 元亀元年(1570年) |
● 遺構 | 城跡(市指定史跡) |
● 天守閣構造 | 鉄筋コンクリート造、本瓦葺3層3階(昭和33年4月建設) |