京都府福知山市字内記内記一丁目周辺にある平山城で、江戸時代には福知山藩の居城であった。
現在のような縄張りは明智光秀がおこなった。畿内を押さえた織田信長は、豊臣秀吉と明智光秀に中国攻めを命じた。豊臣秀吉は山陽道から進軍したのに対して、明智光秀は山陰道側より入った。丹波国を平定した明智光秀が築城し、女婿の明智秀満を城主とした。
福知山城の天守は、三重三階の大天守と二重二階の小天守が昭和61年(1986年)に復元され、福知山市郷土資料館の施設となっている。
市街地を一望する福知山盆地の中央に突き出た丘陵の先端地にあり、その地形の姿から臥龍城の別名を持つ。
東から西に流れる由良川が天然の堀となっており、北側には土師川と合流する標高40mの台地に築かれ展望のよくきく地である。東、北、西は断崖で要害の地でもあった。国道9号走行中やJR福知山線の列車内からうかがえ、夜間はライトアップもされシンボリックである。
● 所在地 | 京都府福知山市字内記5番地 |
● 城の種別 | 平山城 |
● 築城者 | 明智光秀 |
● 築城年 | 天正8~10年(1580年~1582年) |
● 遺構 | 本丸・天守台(市史跡)、銅門番所(移築) |
● 天守閣構造 | 鉄筋コンクリート造 本瓦葺3層4階(昭和61年再建) |