伊予国喜多郡大洲(四国・愛媛県大洲市大洲)にあった城で、別名、地蔵ヶ嶽城、比志城、大津城(大洲の旧称)。
大洲の地は、伊予を南北につなぐ大洲街道・宇和島街道の結節点にあり、また東には四国山脈を抜けて土佐国に出る街道がある。また、すぐ西には大洲の外港とも言える八幡浜(現八幡浜市)があり、大洲は歴史的にはややひなびた立地ながらも交通の要衝といえる場所にあった。宇都宮氏が創建した当初は、肱川と久米川の合流点にあたる地蔵ヶ岳に築城したことから地蔵ヶ岳城と呼ばれ、江戸時代初期、藤堂高虎らによって大規模に修築がなされ、近世城郭としての体裁を整えた。伊予大洲藩の政治と経済の中心地として城下町は繁栄していた。
また、明治維新後から現在にいたる地元住民の城郭への保護活動と、平成16年(2004年)に主に市民による寄付によって完成した往時を出来る限り忠実に復元した4重4階の天守も特筆すべき点である。江戸時代から残る台所櫓・南隅櫓など4棟の櫓が国の重要文化財、城跡一帯が県指定史跡に指定されている。
● 所在地 | 愛媛県大洲市大洲903番地 |
● 城の種別 | 平山城 |
● 築城者 | 藤堂高虎・脇坂安治 |
● 築城年 | 慶長年間頃(1609年前後) |
● 遺構 | 台所櫓・高欄櫓・苧綿櫓・三の丸南隅櫓(重要文化財)、下台所(県指定文化財)、本丸・二の丸の一部(県史跡) |
● 天守閣構造 | 木造 4層4階(平成16年9月復元) |