遠江国佐野郡掛川(現在の静岡県掛川市掛川)にあった城、雲霧城(くもきりじょう)とも呼ばれている。
戦国時代には東海道を扼する遠江国東部の中心、拠点として掛川はしばしば争奪戦の舞台となった。朝比奈氏によって逆川の北沿岸にある龍頭山に築かれたとされ、現在見られる城郭の構造の基本的な部分は安土桃山時代に同地に入封した山内一豊によるものである。
掛川城は、本丸を中心に、西に搦手、南東に大手を開き、北に天守曲輪である天守丸、その北に竹之丸、南に松尾曲輪、西に中の丸、東に二の丸と三の丸、その南を惣構えで囲んだ梯郭式の平山城であった。
明治以降は、廃城令によって廃城処分とされ建物の一部を残して撤去され、道路や庁舎の建設によって大半の遺構が撤去されている。
現在は、1854年に倒壊した天守や一部の建物、塀が復元され、堀や土塁、石塁の復元が行われている。城跡の整備が城下に至り、電柱の埋設など都市景観の配慮に及んだ。
● 所在地 | 静岡県掛川市掛川1138番の24 |
● 城の種別 | 平山城 |
● 築城者 | 朝比奈氏・山内一豊 |
● 遺構 | 御殿(重要文化財)、太鼓櫓・大手門番所・蕗の門(市指定文化財)、天守の丸、本丸、二の丸 |
● 天守閣構造 | 木造 3層4階(平成6年復元) |