岐阜県郡上市八幡町にある山城。
戦国時代末期、郡上一円は篠脇城を居城とする東氏によって支配されていた。その後東氏は郡上八幡の町を挟んで反対側にある東殿山に東殿山城を構えたが、永禄2年(1559年)八幡山の上に砦を築いた遠藤盛数により滅ぼされた。遠藤氏は東殿山城を奪って郡上一円を支配したもののこの城を好まず、東殿山城を攻撃した時の砦跡に城を築いた。これが郡上八幡城の起源である。
その後盛数の長男慶隆が城主となったが、本能寺の変後羽柴秀吉と対立する織田信孝の傘下に属していたため追放された。慶隆追放後一時稲葉貞通が城主となり、この際に天守や二の丸などが建造されている。その後関ヶ原の戦いの功により再び慶隆が城主となり、以来廃藩置県まで郡上藩の藩庁となる。
郡上八幡城の頂上からは、市街地が一望でき、春は桜、夏は涼風を受けながら東殿山の連峰を仰ぎ、秋には一帯が紅葉し、また雪の郡上八幡城も格別で、四季を通じての景色は印象的である。
● 所在地 | 岐阜県郡上市八幡町柳町一の平659 |
● 城の種別 | 山城 |
● 築城者 | 遠藤盛数 |
● 築城年 | 永禄2年(1559年) |
● 遺構 | 城跡(県指定史跡)、城郭(市指定文化財) |
● 天守閣構造 | 木造 4層5階(昭和8年10月再建) |