広島県広島市中区基町にある城郭。鯉城(りじょう)とも言い、国の史跡。広島城全域が広島城址公園となっており、復元された大天守は歴史博物館として利用されている。
広島城は、天正時代になって新しく築城され、天正17年(1589年)、毛利輝元のとき、それまでの毛利氏の本拠、吉田郡山城が山間であり新しい時代に対応できないと感じ、陸海の拠点であるこの地に10年の歳月をかけ築城された。
ところが城が完成した翌年、慶長5年(1600年)に関ヶ原の戦いで毛利氏は西軍の総大将として大阪城に入ったため、領土を削られ、萩に減封移封されることになる。あとに入封したのが、福島正則だが正則も、元和5年(1619年)になって、徳川幕府の許可なく城の修築を行ったことを理由に除封され、浅野氏が入封、明治まで続いた。
太平洋戦争まで現存していたものは、福島時代に拡張されたものと言われ、天守、櫓(多聞櫓・平櫓・表御門・中御門・太鼓櫓)などで、天守は例えば姫路城のように建物が合体した形で5層、2つの3層小天守を伴っていた。
またこれら現存していた広島城は、そのデザイン、曲輪などの配置を豊臣秀吉の聚楽第から模したものと言い伝えられ、また一説には、秀吉、黒田官兵衛の意見が盛り込まれた城であるとも言う。
● 所在地 | 広島市中区基町21番1号 |
● 城の種別 | 平城 |
● 築城者 | 毛利輝元 |
● 築城年 | 天正17年(1589年) |
● 遺構 | 城跡(史跡) |
● 天守閣構造 | 鉄筋コンクリート造 5層5階 |